09年も押し詰まったというのに仕事の山は増えることすらあっても減ることはなく、それでもマイペースを崩さない日々が続いています(笑)。
お蔭様で忘年鍋山行は平日組、週末組ともに15名もの方々にご参加いただき、仕事納めのヨシキスポーツの谷川岳・天神平の日帰り雪上講習会は21名の方が雪まみれになりながら受講を楽しんでくれました。そして今年の歩きにすと倶楽部の雪上講習会は久々に富士山で開催しました。雪上講習会、通称雪訓(セックン)は自分世代の雪山登山者にとっては半ば儀式のようなものでした。しかも、これをやらねば雪山には行けないでしょうといった、重要な儀式なのです。それを19歳の時からもう30年もやってるわけですから、耐風姿勢も滑落停止もそりゃ~旨く出来る筈ですよね。でも、以前は11月下旬にやっていたんですよね。最近は12月でも富士山の雪訓は雪があるか心配なことが多く、時代の流れと温暖化の進行を感じてしまいます。
しかし、富士山の雪訓はいいですね。あの寒さと風とピリッとした緊張感は儀式としての神聖な気分を十分に味合わせてくれます。お蔭様で、この雪訓も参加者17名と盛況でそれに答えようと講師陣も太田の他に本チャンと豊田くんの3人体制としました。19(土)は本当に寒かったですけれど、その寒さも雪山を目指す登山者には貴重な体験になりますよね。20(日)は天候に恵まれ、気温もそこそこで皆さん一生懸命トレーニングに励んで下さり、いい講習会になったと思います。手前味噌ですが、30年もやっていれば雪訓での重要項目とその成果の見極めも上手に出来ようというものです。でも実はこの雪訓の前日にとても残念な事故が発生してしまいました。すでにマスコミ報道でご存知の通り、片山右京さんらのパーティが富士山で遭難しました。自分も昔に12月の富士山5合目でテントで寝ているときに体が浮くという体験をしています。富士山の6合目~7合目付近でテントが飛ばされてしまうのは特別なことではないのです。話しを戻します。片山右京さんとは面識がないのですが、実はあのときに遭難した宇佐美栄一さんとは登山ガイドとカメラマンとして何度か仕事をしていました。特に自分が山渓から出した著書「山歩きはじめの一歩(山選び)」のカメラの撮影は主に宇佐美さんが担当してくれました。とても元気で、礼儀正しく、仕事振りはまさにプロのカメラマンといった感じでした。
その後風の便りに、片山さんに見込まれて彼のマネージャーになったという話は聞いていました。業界の間では多くの人たちが、良かったじゃない!と祝福していたのですが・・・。そんなこともあり富士山に行く前は結構落ち込んでしまっていました。あれから少し時間がたち落ち着いて来た今、思うのは片山さんには一日でも早く立ち直っていただき、目標だった南極のビンソンマシフに挑戦して欲しいということ。それが富士山で遭難した二人の願いでもあると思うのです。
でも思えば、この年になるまでに多く友人や知人を山で亡くしていることに今さらながら驚かされます。中でも未だによく思い出すのは冒険家の河野兵市さんのことです。日本人として初めて北極点に単独徒歩で到達した稀有な冒険家との出会いは、共通の知人の紹介からもたらされました。 その後意気投合し、時折太田のSLとして山の仕事も手伝いに来てくれていました。彼の方が年上でしたが、冒険では適わなくとも山ではこちらが先輩ですから(笑)。そんな彼の北極行きは3,000万円という予算の壁に阻まれるかと思われましたが、ある出来事をきっかけに一発逆転。人生はやってみないと解らないということを思い知らされしました。太田「今のままじゃ無理だから一年延ばした方がいいんじゃない」河野「いや、絶対に今年行く」。それから数ヵ月後、テレ朝のニュースステーションを見ていたら司会の久米宏さんが「日本の冒険家が快挙です」というニュース原稿を読み上げました。そこに映し出されたのは見覚えのあるオッサンのボロボロになったひげ面の顔でした。「あ~、北極点に着いたんだ」と思ったのと同時にマスコミって凄いな~と思ったのです。だって関係者より先に、成功の情報をキャッチしているんですから。その後、少しは冒険家として名が知られた彼が次の冒険を発表しました。「北極点から故郷の愛媛まで人力で帰ります(徒歩・カヌー・チャリでの移動)」水道橋で行われたホテルの壮行会に呼ばれてノコノコ出かけた会場では、すでに彼とゆっくり話しをしている余裕はなく、ファンの若い女性達に囲まれた河野さんがやや困惑した表情を浮かべていました。その時の彼の表情はさまに「すまん!」という感じで思わず笑ってしまいました。その壮行会の前に吉祥寺の飲み屋で「旅の途中のどこかで太田さんも一緒に同行してよ」と言われていたので、ヨーロッパ辺りでチャリで2週間くらい一緒に旅をしようと思っていました・・・。その数ヶ月後、ニュースステーションで彼の訃報が告げられました。北極を徒歩で移動中にリード(氷の割れ目)に落ちた河野さんの死亡が確認されたとのニュースが報道されていました。その瞬間のことは今でもハッキリと覚えています。カラーテレビの画像が瞬時に自分の眼には白黒に変ったように見えたのです。旅立つ前に吉祥寺の飲み屋で彼が色紙を書いてくれました「夢、大切に!」。あの冒険は本当に自分がやりたかった夢なんですか?夢の途中であの世に旅立ったことに後悔していない・・・?彼に聞きたいことは沢山あります。今でも自分の夢に時折現れる彼がそのことに答えてくれることはもうありません。
09年、夏。戦後最大の山岳遭難事故が北海道のトムラウシ山で発生しました。でもそれと時を同じくして北海道の十勝岳でも遭難事故が発生したことを覚えていますか?筑波に本部を構えるオフィス・コンパスが企画した登山でした。つい先日、そのコンパスの代表を務める上鶴くんから手紙が届きました。太田昭彦様「大変ごぶさたしました。お元気にご活躍のことと存じます。又、本年は本当にご心配ご迷惑をおかけしました・・・」確かに心配はしたけれど、迷惑は掛けられていないぜ!でも、今こうして手紙をくれて活動が継続できていることに安心しました。上鶴くんも、そこに居るガイド達もとてもいい連中です。アミューズのトムラウシの事故も色々問題はあったと思いますが、そこに所属する自分が知るガイド達はとてもいいガイド達です。ひよっ子だと思っていた自分も、いつの間にか登山ガイド業界の中でベテランと呼ばれるようになり、そろそろ後輩達をリードしていかなければいけない立場になったのかな?と思います。 果たして自分に出来ることは何なのか?と考えたときに自分の経験を伝えることだと思いました。決して回りに流されない、登山ガイドとしての確固たる自信と哲学。その全ては古いといわれても頑なに登山の常識とされる部分を貫き、安全を最優先にすることを伝えることだろうと思っています。
上鶴くんの手紙と前後して大先輩からのクリスマスカードが届きました。 送り主は田部井淳子さん、そのハガキの中で目を引いたのはインド・ジャガツクス(5332m)の山頂に立つ、田部井さんの姿でした。良さそうな山だな、自分も登ってみたいな。と思いました。しかしあの歳で(失礼)、本当に凄いおば様だな~と思いました。これくらい人生を楽しめればきっと悔いはないでしょうね。そして、そこに手書きで添えて下さったコメントは・・・非公開にしておきます(笑)。色々あった2009年。色々なこと思った12月。年男として過ごした一年も終わりを告げようとしています。丑年だけに「モウ~終わり、なんてね!」お後が宜しいようで・・・。
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